死に真向かうこと

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ごくたま~にふと、われにかえるとき時がある^^;


唐突ですが...

思いたった時たまらずに貪るように読みふける某心臓外科医の女医さんのサイトさんがあります。日々人の生死にかかわる厳しいお仕事でありながら、その人間的なまなざしに裏切られることのない感銘を受ける(あぶ先生〉の 【夢見るかえる】
〈死因が心臓あるいは血管でなければそれでよいのか。【今】【私の目の前】でなければそれでよいのか。 〉
 この記事のコメント欄より (失礼ながら抜粋)


  
人は死ぬという絶対の事実を受け入れられない人達が増えていると思います。
いつか死ぬからこそ、今この瞬間に生きていられることが、ありがたいのですね。
今自分に与えられているものに感謝することが、幸せの原点のような気がします。

受診から診断まで医師の意志が入り込む余地はなく、ただ運命に導かれるように、幸運な忘却か苦しみぬいた末の死かにたどり着くだけ。無力なもんです。
ただ、医療が存在しなければ、人はもっと死への覚悟を持つことができるのではないだろうか、とは想像するんですよ。その意味で医療の存在は、人が死に真向かう事を邪魔しているのではないかと思うのです。


ディスプレイの向こうで「そうだ!あぶ先生!無力と言い切る先生はすごい!」とうなずきながら尊敬のまなざしを送っている私。



そうだ人は必ず死ぬ。
生まれた瞬間から死に向かってひた走っているのだ。
ただそれを受け入れるのが恐ろしいのだ。
あるいは目をそらしているのだ。
あるいは忘れたふりをしているのだ。
死に真向かうことから逃げているのだ。

私も含め。。。




この国では「死に方」に対する議論がまだまだ十分になされていないように思う。
国民共通のコンセンサスのようなものがあまりないように思う。
それは長い間「死」は忌むべきもの、恐ろしいもの、隠すべきものという概念が根深く残っているかも知れない。
より良い?死に方を議論することこそが今を生きる私たちにとってよりよい生き方や新たな幸せの価値観を再生するキーワードではないのか。。。



あぶ先生お疲れ様です。
これからも時々遊びに行かせて頂きます。


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コメント
この記事へのコメント
難しい問題ですね
この問題は難しく、議論もまた難しく。議論をしない恐ろしさもありながら、その一方で、下手に議論をすることで、声の大きな物の価値観を押し付けてしまうことになったら?という恐ろしさも、また感じます。
2007/08/30(木) 03:18 | URL | Adan #nzi/10PQ[ 編集]
阿檀さんいらっしゃいませ
はい。非常に議論しにくい難しい問題をいくつも絡めた記事となっておりますね^^:

管理人もごくたま~に正気に戻ることがあるのでこのような記事をあげて見ました。

多くの問題を絡めはしましたが、死生観についてもっと議論する時期なのではないかと・・・あぶ先生のブログを拝見していて痛切に感じた次第です。
いろんな意味で議論することは恐ろしいけれどそんな機会があってもいいかなと。
2007/08/30(木) 18:31 | URL | miwa #z8Ev11P6[ 編集]
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