カーペンターズ・スパースターの栄光と孤独

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Karen Carpenter sings Superstar

4月20日NHK総合で「カーペンターズ・スパースターの栄光と孤独」一時代を駆け抜けた兄と妹の軌跡…が放送された。
内容的には目新しいものはなかったものの、デビュー前の秘蔵映像などとても貴重なものが含まれていた。




カーペンターズは1969年にビートルズの「涙の乗車券」でA&Mからデビューした。
ま、はっきり言ってこの当時はサイケデリック・サウンド全盛期のなかでクリーンなイメージの彼らは異色であり業界からは酷評を受けた。また、デビュー時のプロモーションもおざなりであったようだ。当時の私もまたまったくノーマークだった。
彼らのことを素直に評価できるようになったのは20代の後半だっただろうか。


カーペンターズを語るときカレンの摂食障害のことを抜きには語れないだろう。いまだその真実の多くは語られていないけれどあえてここで触れてみたいと思った。

それはドラムさえ叩いていれば幸せだったという平凡で控えめな性格の少女が、たまたまあの比類なき美しい歌声を持って生まれてきたことから不幸が始まった。
早くから音楽の才能を認められ周囲の大きな期待を受けて育った自信家の4歳年上の兄を尊敬していた引っ込み思案な少女は目立たないようにいつもドラムセットの陰に隠れていたのだが、兄に頼み込まれて仕方なくボーカルを担当することになったといわれている。デビューしてしばらくはそのスタイルは変わらなかった。しかし次々にヒットと飛ばした1971年頃から観客の「歌うカレンの姿がドラムセットの陰に隠れて見えない」との多くの要望にこたえてボーカルに専念することになった。これはカレンにとって苦渋の選択であったようだ。ステージの中央で歌うことはすなわち容姿に対するコンプレックスをいっそう強くさせることとなった。また、兄のリチャードはアレンジや作曲は得意であったが歌手としての才能には恵まれなかった。実はショービジネス界で歌手としての成功を渇望していたのは兄のほうだった。そしてカレンはそのことを充分承知していたのである。このことがその後の兄弟の音楽活動において微妙な機微を生み、二人は成功と引き換えに少しずつ問題を抱え込んでいった。
また、マネージメントのまずさからツアーに明け暮れる日々の中で心の中の暗い穴が次第に大きくなって行った。そして二人は鎮痛・催眠剤として使用されるクオルード依存症に陥ってしまいカレンの摂食障害も自覚のないままこの頃からひどくなって行った。
70年代後半は彼らにとって試練のときであり、カレンは離婚問題や1年もかけて製作したソロアルバムの失敗が大きな挫折感を生み摂食障害にに拍車をかけたようだ。しかし皮肉にも死の直前まで彼女の歌声は輝きを失うことはなかった。

あの事故(?)は幾多の複合的な要素が彼女を苦しめた結果であるとは思うが、根本的には神様の悪戯でごく普通の幸せ…結婚をして自分の家庭を持つことが夢だったという平凡な少女に与えられた天賦の才能が悲劇をもたらしたのではないかと思っている。



カーペンターズは人生そのものであり絶え間ない悲しみの原因でもあります。
今も自分ですばらしいと思うメロディー(marvelous melody)を思いつくのに伝えてくれる声がもうないんですから。
私はかなり幸せな人間ですがそれが心に刺のように刺さっています。
歌ってくれるカレンがここにいない。

                 Richrad Carpenter 
 


# 何というかさ、これって確かにリチャードの苦悩も伝わって来るけど最愛の妹を亡くした悲しみよりアーティストとしての損失の方が優先している発言なんだよね。このインタビューも編集による印象操作があるのかも知れないけど…この言葉が富と名声を手にしてもなお孤独だったカレンの真実を表しているといえないだろうか。
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2009/12/11(金) 00:49 | | #[ 編集]
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